私は今回、この講演会を拝聴して、タイトルにもあるように、呉先生自身のご経験をもとにわかりやすくお話ししていただいたことによって、今までなんだか「近くて遠い存在」だった「難民」や「移民」と呼ばれる人たちの置かれている状況について、とても身近に感じることができるようになりました。
私の地元は、兵庫県姫路市で、ベトナムの「難民センター」があることもあり、保育園のころ、まだ「国」という概念を知らないうちから、友達に「カタカナの名前の子がいるなぁ」と感じていました。
小学校に上がり、その子たちは、私たちと同じアジアにある「ベトナム」という国の子たちなのだと知りました。
そして、また少しずつ大きくなるにつれて、「その子たちの親世代は、難民や移民と呼ばれる形で日本に来られているのだ」と知りました。
正直言うと、私の地元でも、難民や移民と呼ばれる人々に対する偏見があるのではないかと感じてしまう場面も多々あります。
私の母方の曽祖父は、1926年に神戸港からブラジルへと家族を連れて移住しています。
そのため、祖父はブラジル生まれです。
この2つのことに共通点を感じたことはなかったのですが、よく考えてみると、私の曽祖父たちも現地では「移民」という風に定義されていたのだと気付きました。
もしかしたら、現地で祖父たちは偏見の目で見られていたのかもしれないということにも気付くことも出来ました。
このような点において共通点を発見でき、またそこに存在する問題に改めて気付くことができたことは、私にとって大きな進歩であり、発見であったと感じています。
(投稿者:星住弥里)
小学校に上がり、その子たちは、私たちと同じアジアにある「ベトナム」という国の子たちなのだと知りました。
そして、また少しずつ大きくなるにつれて、「その子たちの親世代は、難民や移民と呼ばれる形で日本に来られているのだ」と知りました。
正直言うと、私の地元でも、難民や移民と呼ばれる人々に対する偏見があるのではないかと感じてしまう場面も多々あります。
私の母方の曽祖父は、1926年に神戸港からブラジルへと家族を連れて移住しています。
そのため、祖父はブラジル生まれです。
この2つのことに共通点を感じたことはなかったのですが、よく考えてみると、私の曽祖父たちも現地では「移民」という風に定義されていたのだと気付きました。
もしかしたら、現地で祖父たちは偏見の目で見られていたのかもしれないということにも気付くことも出来ました。
このような点において共通点を発見でき、またそこに存在する問題に改めて気付くことができたことは、私にとって大きな進歩であり、発見であったと感じています。
(投稿者:星住弥里)